難しい芸術

浮世絵の創造性をはっきりさせよう(2)
【アートの本格解説】

5 浮世絵には立体感がない

浮世絵の代表格といえば、切手の『シャラク』と『ビードロ』です。東洲斎写楽(1763-1820)の『市川蝦蔵』と、喜多川歌麿(1753-1806)の『ビードロを吹く娘』が知られます。

日本の郵便事業で、1940年代と50年代を飾った『切手趣味週間』シリーズで、人物画の大型記念切手です。この切手の発行は当時の大蔵省によるエポックで、教科書以上に昭和の人々を魅了したことでしょう。

落ち着いた色の凹版と初期の多色グラビアで、今の切手のカラーリングとは違った渋く重厚な色彩で、ぐっと大人な風格でした。

『シャラク』と『ビードロ』の原画は、実は徳川幕府が扱った19世紀よりも古い、18世紀の作です。抽象化された具象画としては、かなり早い時期。

欧米では19世紀近世でもまだ具象ばかりで、抽象画は20世紀の産物です。近代抽象画のルーツとなる作品は、1907年のピカソ『アビニョンの娘たち』でした。この絵をきっかけに、ピカソはパリ画壇から攻撃を受けるようになります。デッサンの狂った絵だとして。

西洋美術史では、19世紀には抽象がありません。もし西洋美術史をアートの正史と位置づければ、浮世絵がうまく歴史に座らない問題が出てくるのです。美術発展史の流れに、フィットしにくいのが浮世絵です。

欧米が抽象を試す前に、日本には抽象のマスターが大勢いたことになります。こうして世界美術史から浮いた絵が浮世絵だった、歴史上の立ち位置がわかります。

6 西洋美術史と相性が悪い浮世絵

昭和の絵画制作の格言にこういうのがありました。「具象画を極めた画家が抽象画に進むべき」「具象ができていない者が抽象画に走るのはよくない」。

具象を学んでから抽象へ進むべきだとする、ステップアップの道徳みたいなものがありましたね。この不文律だと、浮世絵は糾弾される側になります。

鉛筆や木炭の写実デッサンが満足に描けない者が、苦しまぎれに駆け込んでごまかした安易な作風が抽象画だというように、イメージされた時代が日本で長く続きました。

今もその傾向があるかも知れません。だから抽象の語で浮世絵を語るのは、ちとまずいぞという話がどこかに残っているかも知れません。

たとえば『ビードロ』は、顔にくらべ手が小さすぎますよね。

デッサンの確かさで評価しようにも、落第と判定できるわけで、指導教育に不合理が生じます。「だって先生、デッサンが間違っている浮世絵が、日本を代表する名作になっていますよ」「先生、どういうことですか?」「これは陰謀ですか?」。

ヨーロッパが認めた浮世絵を馬鹿にするわけにもいかず、さりとて抽象化された価値を言い出しにくかった。反逆者たる抽象アートに、塩を送る結果になるようなロジックがはばかられる空気。

そうした困った立場に置かれたのが、明治大正、昭和から平成時代への浮世絵だったわけです。令和時代も続きそうな。

7 明治時代にも捨てられた浮世絵の波乱

美術史やデザイン史を学んだ方は、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の語をご存じかも知れません。

明治時代の文明開化で、日本はヨーロッパのあらゆるものを輸入しました。おかげで、昭和の日本はアジアの奇跡と呼ばれ、先進文明社会ができました。

徳川幕府が統治していた江戸の時点でも、すでに世界最大の都市となっていました。メトロポリス、巨大都市の基盤ができた江戸があってこその、明治以降の発展なのは、もちろんです。

そして西洋文化が国内に輸入導入されるにつれ、古来の日本文化が陳腐で無価値に思えてきました。廃仏毀釈とは伝統文化を捨てて、新鮮さを求めたデザイントレンドの旋風です。日本文化を批判し、消し去ろうとする文化革命でした。陳腐な日本らしさを捨てようではないかと。

日本の寺にある仏像もチャチでダサく見えて、ポイと捨てられた時代がありました。それが廃仏毀釈です。

アートやデザイン類に限りません。日本語でしゃべっても国際化できないからと、国語をフランス語に替える案も出ました。日本各地の風習を廃止する空気も生じて、一部の伝統祭はこの頃に廃止されたでしょう。

今で考えれば、神主を女性に替えて、巫女(みこ)を男性に替えるリベラル改革みたいなものか。そして当時の勢いは激しかった。内紛や内戦みたいな改革路線でした。そうした過渡期の時代に、やはり浮世絵もさらされました。

日本の良さではなく、悪さという解釈が大手をふるいました。日本文化を大事にしようと言えば、古きにしがみつく抵抗勢力の負け組に扱われたのです。

8 その後も海外へ流出した浮世絵

時系列でみると、江戸末期に来日した外国人が、浮世絵の価値に気づいて譲り受けたり買い取り、欧米の祖国へ送っていたようです。だから、今も浮世絵の大事な名作が外国にあり、日本にはなかったりします。

日本の現代ハイテク技術が21世紀に海外流出したように、浮世絵も19世紀に海外流出しました。

たとえばアメリカのボストン美術館に、喜多川歌麿の絵だけでも383点あると、ネット情報にあります。昭和以降の日本で浮世絵展を開くのに、外国の美術館から借りてくる場合もあったでしょう。

その後に徳川幕府のパリ万博参加と浮世絵のヒット、そして廃仏毀釈となり、その頃に浮世絵がフランスで価値が上がった順序であろうと。しかしその後も日本では引き続き、浮世絵が低くみられたり捨てられたであろう疑惑があります。

浮世絵は元々は大衆向け、子ども向けのちゃらちゃらした風俗画が多い。またジャーナリズム的な記録目的でもつくられていました。美術的には前近代的だと批判されやすく、学術的な価値や正統性もなさそうだと、国内では思われてきたでしょう。

しかもフランスやドイツから重厚な油彩の洋画が輸入されると、浮世絵は軽薄ななぐさみものに見えたはず。軽薄とはいえ浮世絵にも強彩色の版も多いのですが、するとその現代画調がアンティーク度でむしろ減点になる面もあったでしょう。派手な色は子ども向けだとして。

とにかく浮世絵は抽象的な絵画だと切り出すと、日本ではめんどうくさい話になります。浮世絵を誇りはしても距離を置く傾向は続いています。