難しい芸術

先進美術館リーディングミュージアムに渇!
【アートの本格解説】

1 リーディング・ミュージアムとは何か

2018年5月にY新聞ネット版で配信された、『リーディング・ミュージアム(先進美術館)』という構想があります。日本国政府が提案した、日本にある美術館の改造計画でした。

リーディング・ミュージアム構想の目玉は、美術館が持つ作品をアート市場に送る自由です。収蔵作品をオークションなどに積極的に出して売買し、つまり作品オーナーを移して流動化させる計画です。美術館の作品も売りに出す。

この構想案に対して、美術館関係者は反対を表明しました。あってはならない計画だと反論して、小さな騒ぎになったのです。

まず、その構想案は規制緩和の一環です。日本政府の下で、識者の諮問委員などが提案するもの。類似する構造改革の例に、郵政民営化がありました。郵便局を民間の株式会社に変える、制約外しでした。

目的を理解するのに、グローバリズムというキーワードが大事です。日本の資金と世界の資金の間にある国境の壁をなくす、新自由主義という経済理念です。日本にすすめたのは、アメリカ金融筋だとされます。ウォール街。

郵政民営化では、ゆうちょ銀行の預金が遊んでいるとして、海外投資にも道を開く計画でした。M&Aや外国債の購入も含めて。美術館も同様に、作品が遊んでいるとして投資できるようにする計画です。海外も範囲に入れて。

日本だけでなくウォール街のアメリカでも、規制緩和は流行中です。例は「民泊」や「白タク」。

旅館業やホテル業と無関係の人でも、自宅に旅行者を有料で泊めてよいのが民泊制度。マイカーにお客を乗せて、儲けてよいのが白タク制度。価格破壊のトレンドです。ただしベルリン市などは認可を撤回し禁止。

2 リーディング・ミュージアムの歴史背景

リーディング・ミュージアム構想の目的は、日本の美術市場の規模拡大です。絵や彫刻を売買する年間総量を、金額ベースで増やす目的です。

該当する施設は、国立美術館、県立美術館、市立美術館、私立美術館です。町立なども含むでしょう。

世界の美術品の売買のうち、日本が占める金額は3.6パーセント(アート東京調べ、他に0.7~2パーセント説あり)とされ、国力に比して極端なほど小さい事実があります。日本はアートがあまり売れない美術小国だと、政府も認めています。

リーディング・ミュージアムの社会背景は、もちろん平成大不況です。昭和末期1985年(昭和60年)の「五カ国プラザ合意」を受け、日本銀行が公定歩合を引き上げてバブル時代に突入。消費バブルの終了は、ブラックマンデーから5年たった1992年(平成4年)でした。

しかし低成長時代への軟着陸にはならず、日本経済は落ち込みました。地上げ融資の損益、すなわち地価暴騰の次に起きた暴落で生じた、銀行の不良債権問題に直面したのです。

土地担保の値下がりで、巨額の融資がこげついた。急いだ銀行による資金回収、貸しはがしなどで、連鎖的に民間企業が倒れました。これがいわゆる「失われた何年」という時代です。G7国などからそう呼ばれ、10年、15年、20年と延び延びの状態。

グローバリズム寄りとなった政府は銀行への資金注入ができず、銀行倒産と再編が起きました。外国からの評価は耳タコな「Too little, too late」。今もなごりとして、長い名前の銀行が多いですね。一部は外資系となって。

日本は1997年(平成9年)の消費税5パーセント化で本格的なデフレ不況国となり、2018年(平成30年)に「失われた26年」を記録更新中。文明史上最長の不況との指摘もあるほど。国内は投資が停滞し続け、今も節約に徹し景気の曲がり角はまだ先です。

節約で経済が伸びたためしはなく、残業代カットが国会の与野党争点になるなど、近い時期に景気が上がる兆候は乏しいとわかります。皆さんも今、毎日の出費をできるだけ切り詰めて、極力物を買わないようにして暮らしていませんか。

この社会背景で美術館をなぜいじるかは、運営費を自らつくらせるためです。文化芸術の補助金削減とセットです。

3 国民の美術館離れも普通に起きていて

近年よく耳にするのが、若者の「車離れ」「雑誌離れ」「旅行離れ」「飲み会離れ」「デート離れ」「結婚離れ」。ついで「出産離れ」。

若者だけでなく、国民の「何とか離れ」の言い方が増えました。一度でも公に出たフレーズを並べると、数百もあるらしく。これは、国民が物やサービスを買わない状態です。

その原因は、しかし思想の時代変化や世代差ではなく、単に貧困になったから買えないだけです。飽食や物余りは関係がなく、原因は所得減。結果は消費抑制。使える金が少ないから使わない道理で、この状態を日本語で不景気と呼びます。

その中に、「文化活動離れ」があります。美術展を見に行くのも、生きていくのに不必要だと。お金がもったいなくて物見遊山を自粛する国民。世に多目的イベント会場がめっきり減った変化も関係します。ちなみに、明確な減り始めは1988年と早いものでした。

美術館の収入は減っています。しかしコストは一定額かかります。館内は温度と湿度を保つから、空調機の電気代も年間3千万円とか。収蔵庫の作品も手入れや整理と補修があるし。作品同士くっつかない定期点検もかさむし。

経費削減のしわ寄せで、作品が傷んだり紛失したりが現実に起きています。棟方志功の版画が盗まれ、カラーコピーに化けた事件とか。こうした施設の維持コストが負担で、美術館も動きが萎縮しました。似た境遇の動物園や水族館は、いくつも閉鎖されました。

政府も国民も「ただ今節約中」の冷えた消費マインドの中、館の維持費をつくるために収蔵品を売り払う案が出たわけです。近い将来に不況から脱するなら、リーディング・ミュージアムの話は不要でしょう。

各美術館が持つ絵画、ピカソやミロ、ゴッホやミレーなどを売ってしまえば、運転資金がつくれます。すると国からの補助金をカットしても、やっていけるかも知れない。それがリーディング・ミュージアムの論理です。

4 リーディング・ミュージアムへの反対意見

その構想に対して、「全国美術館会議」は反対声明を出しました。「美術館は学術施設であって、商業施設でない」という根本理由がひとつあります。

収益目当てにコレクションを切り崩すのは無茶だと。目玉作品や周辺作品や歴史資料を手放すと、活動は制限されます。お客が減るかは不確実ですが、レンタル作品でつなぐ傾向は強まりそうです。何屋さんなのか、アイデンティティーが立ちにくい。

構想では売る役は誰か。アート・ディーラーやブローカー役は、学芸員(キュレーター)のはず。担当者を別に雇えばコストアップするから。しかし学芸員は美学系やデザイン系などの出身だから、売買は素人でしょう。

美術館の内部の混乱も考えられます。ある作品を売るか売らないかでもめて、派閥争いや政界が介入する更迭騒ぎなど。

かつて公立美術館で、抽象画の購入で外圧も加わった騒動が複数ありました。先進意識の館長は辞職に追い込まれて。その時買った抽象画を手放すかで、再燃するかも知れません。

昔ニューヨーク近代美術館は、ドガの絵を売ってピカソを買ったことがありました。それから、世界一の大人気美術館へと栄光まっしぐら。日本だと逆にピカソを売って、ドガを買いかねない圧力こそが強い心配も。

未来のまた未来に通用する資産の喪失は、地域には痛手です。「美術館は市場に介入すべきでない」という主張には、絵画投資の仕手戦ゲームで何かが失われる不安もあるでしょう。ムードがすさんでいく恐怖というか。

5 リーディング・ミュージアムにみる官高民低

リーディング・ミュージアム構想は、公務員や準公務員もアート市場をリードするシナリオです。官主導の事業と聞けば、業界人は敗退フラグを感じたことでしょう。サブカルの扱いが奇妙なクールジャパン物産館の低調も、一応前例であるし。

美術館は美の殿堂です。アートの宮殿。芸術の聖地。国内の美術行政の頂点に立つ、特別に権威的な博物館カテゴリーの施設です。構想がその権威に、べったり寄り添っている点がことさら気になるのです。

名品とわかっている範囲で作品を転がすわけです。お墨付きアートを動かして資金繰りを行う。中央政府のいつもの「在野嫌い」というか。たとえるなら血統書付きの犬しか扱わない主義であり、未来の閉そくを著者は予感します。

値打ちがある美術作品は、美術館の中に豊富で、外には乏しいという意識ですね。偉大な美術館の作品保証力を頼る感覚で。

陶芸に「箱書き」なる慣習があります。茶碗や壷を入れる保管用の木製小箱に、作品保証の毛筆文字があり印鑑も押してある、あれです。

中味の茶碗よりも、箱の文字を頼りに味わう。「箱書き」の比喩は、レッテル頼みの権威主義の象徴です。その箱の役を、美術館がになうかたち。

現に今、美術館の品ぞろえは後向きで、時とともに魅力が後退する傾向です。欧米の美術館にくらべて、日本の美術館は古風だと感じたことはありませんか。海外旅行経験者の方。

6 美術館の外で美術市場をつくる本命の案

著者はマルチジャンルの画家でもあり、リーディング・ミュージアム構想への最初の関心は、自作品の出番が用意されるかでした。美術市場の拡大が本気なら、我々作家の手元にある絵画を市場に呼び込む構造改革に、当然期待するわけです。

「待て、おまえの絵など歴史的価値が決まっておらず、政府が目を向けるわけがない」「美術館の収蔵品だから立派なのであり、一歩外へ出た馬の骨アーティストに出番なんかないだろ」「何か保証でもあれば別だがね」とお叱りが聞こえてきそうです。

その話をしています。さっきその話をしたのです。血統書付きの犬だけを、犬として扱う話はまさにそれ。血統書付きが中心で、雑種排除の市場は小さいはず。日本の美術市場が小さい事実と一致しますね。

その箱書きや血統書への寄りかかりを、先進美術館構想で固めるよりは、崩す方が好ましいと著者は考えました。どうせなら、本当に市場が大きくなる仕組みに改革すべきだと。構想案はそこまで詰めていないような。

著者の対案は、日本国内に眠る美術作品を総動員して、マネーを回す発想です。部分拝借ではなく総動員です。国民の力を使うのが著者の考え。

美術館ファーストではなくて、国民ファースト。一億総活躍社会を築くため、働き方改革のため、無名やアングラにも目を向け手を伸ばす。

そうすれば美術館のトップ資産を転がす騒ぎや、アート汚職や横流しや背任スキャンダルは起きません。売買の戦に敗れて廃業となる美術館はゼロ。むごい結末は完全予防。

7 美術館の外にはどんな美術があるのか

著者の対案は、日本国内に隠れてくすぶっている美術を表に出し、市場拡大するポスト構造改革です。画家や彫刻家や写真家や各種工芸などの面々を動員して、国内流通量を増やすことが先決という視点で。

表に出ない知られざる隠れ美術を、表に出す場を設けます。それを国民が買えるリアルの場を設け、業界のパイ全体を大きくします。ただしネット販売はわくわく感が小さいので後回しです。

未知の作品を掘り出すから、市場の作品はどっさり増えます。限られた作品をピンポンする転がしではなく、新作を供給し続けます。全体のパイを大きくするスケール拡大策です。

「でも無名作品はゴミだし、つまらぬものを誰が相手にするのか?」と反論があるでしょう。間違ってはいけません。ゴミを売り逃げする話ではないのです。宝を見つけて、誰かが買い取る話です。

「ゴミが9999個あって、宝が1個だとして、非効率すぎないか?」という心配もあるでしょう。それは、著者が実際に国内美術を集める仕事を通し、49個対1個で宝という割合が現実です。50分の1で芸術的逸品はあろうとの想定です。安全率2倍で、99個対1個を平均の当たり率と考えます。

「99個の方はどうするつもりか?」という疑問も、当然わくでしょう。ざっくり言って、その正体は広義の「売り絵」の範囲に入るでしょう。だから売れます。買い手が現れそうなA級作品です。廃棄物とは違うので心配なし。

「それなら正真正銘のゴミ作品はどこへ消えた?」と気になるかも。失敗作は作者がボツにして市場に出さないでしょう。もっとよいのが別にあるから。まあ、権威ある美術館を基準とすれば、無名作品はゴミにも見えるかも。血統書がない犬が、下等動物に見えるみたいに。

ちなみに著者は、作者が引っ込めた作品からも逸品を探します。外国だと売れたりして。芸術は創造ゆえ、どこに現れるかは予想外です。実感がまんま当たれば、ゴッホは生存中から巨匠扱いだったはず。いつになっても、その点はおごるべからず。

8 日本の美術界のどこにテコ入れすべきか

日本で新しい作品が死蔵されている最大の理由は、国内で美術が売れないからです。政府の主張どおりです。

サイクル化し、日本語で悪循環と呼びます。原因が結果になって、結果が原因をつくるから。破るのに頭を使います。

普通のマンションの家庭にも、40センチのモダンアート絵画がかかっている未来を考えます。隣の部屋にも一点。そういう家庭が多い国に、今から変えていく話をしています。何も変えないのではなく、そこは変える。政府の目的も活かして。

本気で美術市場を大きくするなら、国民が普通に美術を買う国へと変える必要があるでしょう。欧米はそうなっていて、日本はなっていません。「美術はわからない、芸術は難しい、現代アートは理解できない」という、往年の限界が今も続くからです。

構想が美術館の血統書機能に頼らんとするのは、美術がわからない国民への忖度もあったでしょう。皆がよくわかるなら殿堂の外へ出るはず。外の方が傑作が豊富だから。

要は無名作品を見てチンプンカンプンだと、何をどうやっても未来がないわけです。そこで著者の対案は、チンプンカンプンでない人を増やす変化を仕掛けて、それを先進性と称する方針です。

既定の資産を切り崩さずに、隠れ資産を持ってくる逆転の発想で。

9 美術市場をリードする人づくり

著者の美術市場拡大作戦の現場担当は、普通に考えればギャラリスト(画商)やアート・エージェント(販売代理人)、アート・プロデューサー、クリエイティブ・アドバイザーなど、民間の美術関係者が妥当です。売買現場の仕事師。今は売買の現場が少なくて、全体に人材不足ですが。

これから人材を濃くして、育成も行います。有資格者ではなく、実力者をつくります。血統書頼みは転落の元。作品だけ見て、芸術性を読み取る人は従来は少なかった。そこを増やせば、芸術立国に届きもするでしょう。フランス程度には並ぶはず。

日本国民は概して展示物の知名度を当てにし、無名に関心を持たない傾向があります。世評に沿って、右にならえするみたいな。難解な作品になぜか人が集まっている時は、名前買いのパターンですね。有名人の作だからと。そこは確かに急変は無理で、世代交代も含めて年月が必要です。

だから美術館の収蔵品を手放す大変化は、並行させません。一人の青春ではないから、能力を超えた無茶は厳禁。学芸員以上に、今新しく生まれた創造を拾うプロが市場に必要だからです。

学芸員だけでなく民間ギャラリストも、芸術的な判断で作品を回せる保証は不確実だとして。それでも未来につなぐよう、今から鍛える。19世紀の画商ヴォラールのごとく新作を見通す目は、民間ギャラリストが適任でしょう。

ちなみにヴォラールは、1895年にゴッホ回顧展を行っています。今から123年前。書簡集はその19年後の20世紀なので、まだ無名のゴッホを早く拾い上げた希有な画商でした。

10 日本に芸術文化が苦手な人が多い原因

先進国の中で、なぜか日本だけ美術市場が不自然に小さい理由は、芸術が苦手な国民が不自然に多いからです。

その原因は、結果と同一です。作品を真剣に見なくて済むせいで、作品を真剣に見なくなる悪循環が存在します。そこに謎はありません。

その元凶となる原因は、全く意外で奇想天外なことです。それは、公募コンテスト展です。

「公募コンテスト展」は、芸術と相性が悪い方式です。人はコンテストになじむほど、芸術が苦手になります。苦手になった結果、公募コンテスト展でないと鑑賞しにくい負の循環が起きます。

「何だって?」「いったいどういうこと?」「意味が全然わからない」と、キツネにつままれた気分かも知れません。詳しく説明しましょう。

公募コンテスト展とは、フランス語でコンクール。制作競技でありコンペティションです。いわゆるコンペのこと。ゴルフコンペとは、景品レースですね。

公募コンテスト展を開催する手順はこうです。まず主催者の元へと、画家が作品を送ったり持ち込みます。すると審査員が採点します。点数が高いと合格して、「入選作」と呼ばれて展示許可が与えられます。市民は見ることができます。

合格した入選作の中から、金賞、大賞、一等賞、特別賞、大臣賞など「入賞作」も事前に選び、市民はその結果もセットにして見ます。

一方、点数が低いと失格して、展示は不許可となります。同じ金額を払っていても、展示の権利を得ません。作品は会場にないから、市民は見ることができません。開催前に画家へ返品されます。

日本では大規模展覧会のほとんどが、この公募コンテスト方式です。コンテストでない展覧会といえば、ゴッホ回顧展などを除けば、個展や仲良しグループ展やサークル発表会などになります。だから、毎年恒例の有名展覧会は全てコンテストです。

11 公募コンテスト展は18世紀の美術向け

公募コンテスト展の最大の特徴は、審査員が事前に値打ちを決める点です。日本では全く当たり前のコンテストですが、実は日本以外ではあまり行われません。

公募コンテスト展は、庶民は芸術がわからないだろう、との前提で行われます。だから庶民に代わって、審査員が作品の価値決めを一手に引き受けます。その結果を庶民に教えるわけです。「これこれの作品が優れものですよ」と、庶民に入れ知恵します。

その公募コンテスト展の意外な特徴として、展示会場で作品の売買が禁止されているのです。思い出してみると、壁にもカタログにも値段が出ていませんね。応募要領書には、売買は禁止だとしっかり書いてあります。

出品画家が会場へ出向いて、入選した自分の絵の前で商談をやってはいけません。まして金銭授受は絶対厳禁です。販売すること自体が違反なのが、公募コンテスト展の大きい特徴です。

つまり、日本でアートが売れないのは販売禁止だから。売っていないのだから、売れるわけがありませんね。日本の展覧会は市場を否定しているから、市場が小さい当然の結果が出ています。敗因がちゃんとあったのです。

「それなら外国はどうなっているの?」と疑問がわくと思います。欧米で公募コンテスト展がめったにないのなら、よくある展覧会の話題はいったい何なのか。答はアートフェアです。

12 アートフェアは20世紀以降の美術向け

アートフェアとは、美術販売会のことです。ドイツ語でメッセ。幕張メッセのあの見本市の意味です。作品全てに値段がついて、入場者が自由に買える展覧会です。

フェアとは販売会です。イメージが近いのはバザー。全国駅弁祭などはフェアの典型です。駅弁と同じで、美術でもタイトルカードに値段が書いてあります。作品カタログにも価格の数字が出ていて。

市民が自由に買うフェアなら、審査して金賞の花やリボンをつける必要がありません。「皆さんはこれを食べるべし」と主催者が指導しない駅弁と同じ。商談が成立すれば、購入者が賞を与えたも同然だから。

欧米の有名な大型展覧会は、大半がこのアートフェア方式です。ハイエンドはスイスの『アートバーゼル』、ミドルレンジはアメリカの『ファウンテン・アート・フェア・NY』、エントリーは町内のアートイベントも皆このタイプです。画廊単位で参加して、ブースを構えます。主催者は参加画廊を募集します。作品の募集ではなく。

権威者が独断と偏見で作品を取捨する公募コンテスト展を、欧米はとっくにやめていたのです。独裁者方式でなく、市民が値打ちを決める民主化された方式が定着しています。

この「民主化」の意味は、民主主義とは違います。民主主義で芸術は決まりません。多様な作品を、多様な感覚で分担し賞味する民主行動です。市民はサイフを持って、予算を決めて見に来ます。

展覧会の概念自体が、日本と欧米でかなり違います。日本では作品を見て心の糧(かて)とし、感動を胸に帰宅する。欧米では作品を買って心の糧とし、実物を手に帰宅する。日本は見るつもり、欧米は買うつもり。

欧米では、展覧会が市場だという。会場は売店だという。

大事なポイントがあり、欧米のアートフェアは全て現代美術です。新興のコンテンポラリーアートばかりで、クラシックは扱わず。骨董市や古美術商談会とは混線しない未来指向です。

マンションの40センチ作品も、向こうは普通に現代アートです。「印象派ならわかるが、現代アートは全然わからない」という感覚は、実は日本に特有だったのです。

13 公募コンテスト展が生む芸術難民

日本のコンテスト方式の弊害は、市場の否定だけでは済みません。アートフェアは市民が作品を評価します。対してコンテストは審査員が評価します。その結果を市民が教わって鑑賞する段取り。

審査員が良し悪しを決め、その発表に市民はうなずくだけ。いわば上からの命令を待つだけ。偉い人の指導に従うだけであり、市民が一から考える場とは違います。作品を自分の目で見たとはいえず、見る目が育ちません。自分で判断する訓練を、市民はほとんど積めないわけです。

日本では芸術体験を得る場が少なすぎる事実。答を教わるだけだから、自分で答を見つけ出す力が伸びない。だから毎回の入れ知恵なしには、作品との直接対話が難しい。国民の中から芸術に詳しい人が出ない仕組みが、コンテスト方式です。

そうして「芸術は難解だ」「アートはわかりません」に育った国民の中に、行政指導する官僚や諮問委員の識者や、学芸員や館長までが含まれます。一般客のみならず、美術関係者までが芸術が苦手ときた。

話を蒸し返しますが、もし美術館が市場に参戦するなら、普段から売買慣れして鍛えられた海外勢に支配されます。日本側は高く買わされ、安く売らされる危険性が大。カスに見える逸品を巻き上げられ、逸品に見えるカスをつかまされて。

明治時代に浮世絵が欧米へ流出して、至宝の傑作に限って日本国内にないのと似た展開が心配です。不要品が始末できたと喜ぶうちに、未来の名作を持って行かれてしまうだけ。

日本がグローバル経済に移行したとたんに、家電や車関係の大企業がいくつも外国の手に落ち、日本独自の技術が流出した近年を覚えているでしょうか。アート資産もまた、外国へ流出する危惧が十分あります。特に隠れ傑作の日本画。

リーディング・ミュージアム構想を逸品争奪のワナと疑う前に、日本の美術市場が小さくなった犯人は、公募コンテスト展です。コンテストをやめてアートフェアに交替すれば、年間に売れる金額は自動的に上がるでしょう。それプラス人々の見る目も養われるでしょう。

日本だけが今も18世紀型のコンテスト方式だから、そこが弱点と同時に伸びしろです。今から急激に市場拡大できる楽な道が、日本に限って存在します。

14 そのアートフェアを美術館で開く破天荒

リーディング・ミュージアム(先進美術館)構想は、最初から二股かかっていました。市場を大きくする目的と、美術館の経費をつくる目的です。

著者の対案は、アートの国内総生産を上昇させるのに、美術館が持っている絵ではなく、持っていない絵をセールするフェアです。

しかしこれだと、美術館の経費は捻出できません。だからアートフェアの元締めは美術館とします。画廊の参加料は美術館の収入で、既存コレクションを保持したまま金脈をつくれます。

損益分岐点は規模や作品しだいで、多少は初期投資もいるし、プレミアムグッズなど独創性も試されるでしょう。作品販売代金は画廊と美術家で10割とり、主催者に入らないのが欧米式です。

余談ですが、アートフェアは入場有料です。会場内で飲み物を売ったり配ります。海外ではワインやシャンパン類が定番。音楽も鳴っています。アメリカではバンド演奏も見ました。冠婚葬祭ふうにかしこまったコンテスト展とは違い、アートフェアはモダンな雰囲気です。

そんなアートフェアを美術館で行えば、規制緩和かつポスト構造改革でしょう。民泊や白タクなど経済縮小とは逆に、経済拡大する方向です。堅苦しかった施設ほど開かれ、海外からの視察も増えるでしょう。

ちなみに欧米では、市役所内の展覧会でも作品を販売します。日本の役所建物では全て販売禁止ですね。美術館内で個展やグループ展の展示作品を売る発想転換もできるのに、そこだけは美術館がつぶれても死守するのは奇妙です。国民の売買気運づくりで、美術館が先進すれば早い。

不況下で同じヤケクソになるにしても、美術館の資産を投げ出すヤケクソよりも、美術館に資産を投げ込むヤケクソの方が、未来につながるでしょう。

15 コンテストとフェアを混ぜた展覧会は無理

ところで「県展」のような公募コンテストも、値段をつけて販売できないかと、アイデアが浮かぶかも知れません。実はナンセンスです。

売るなら、事前の審査はじゃまなだけ。評価の食い違いで審査員が恥をかくかも知れず。もうひとつ、落選作品の意味です。売る前提なら、作品が多いほどパイが大きくなります。何が売れるかわからないから、門前払いはもったいない。

一作品に一人買い手が現れたらバンザイだから、常識的で好印象な作品だけをそろえる意味がありません。売る前提なら、常人の理解を超えたゲテモノ作品も人前に出したいロジックがあるのです。トンデモの異端や、未来の創造が舞台に上がるのがアートフェア。

つまりアートフェアの方が作品の個数は多く、内容も豊富です。はっきり言えば、先進的で個性的。審査員への迎合がないから、出てくる作品の豊かさとチャレンジ精神が違う。

壁に絵が上下4段とか、床置きで立てかけたり、版画類の重ね置きもアートフェアの光景です。お客は中味をよく見るから、額縁で体裁をよくする義務もありません。キャンバスの釘が見えても皆平気。会場の美化もそこそこ。

お客が中味をよく見る理由は、自分のお金で買うからです。恋人を選ぶより結婚相手を選ぶ方が、自ずと真剣になる理屈です。表面的なルックスの奥にあるものを見届ける本気度が、美術鑑賞にも表れます。よい傾向でしょう。

欧米でアートフェア方式が盛んなのは、人間の保守性を知った上で、現代のゴッホを切り捨てずに、支持者を募る意図です。背景は1910年代から始まる多様化の時代。審査員の手に負えない多種多彩な表現を、皆で手分けして審議する。これが世界の考え方です。

著者の対案へのありそうな疑問点、「日本人は芸術が苦手なら、果たして市場拡大はあり得るか?」は、苦手を返上する作戦が回答になります。大半が苦手なままで、明るい未来があるとは思いませんから。

現代アートがわかる日本人を増やすには、売らないコンテストを廃止し、売るアートフェアに替えるのが近道だと考えます。各地の学芸員と民間ギャラリストが連携して、資金の流れを調整していけばよいでしょう。(つづく)(2018年8月6日)