難しい芸術

先進美術館リーディングミュージアムに渇!(4)
【アートの本格解説】

13 公募コンテスト展が生む芸術難民

日本のコンテスト方式の弊害は、市場の否定だけでは済みません。アートフェアは市民が作品を評価します。対してコンテストは審査員が評価します。その結果を市民が教わって鑑賞する段取りです。

審査員が良し悪しを決め、その発表に市民はうなずくだけ。いわば上からの命令を待つだけ。偉い人の指導に従うだけであり、市民が一から考える場とは違います。作品を自分の目で見たとはいえず、見る目が育ちません。自分で判断する訓練を、市民はほとんど積めないわけです。

日本では芸術体験を得る場が少なすぎる事実。答を教わるだけだから、自分で答を見つけ出す力が伸びない。だから毎回の入れ知恵なしには、作品との直接対話が難しい。国民の中から芸術に詳しい人が出ない仕組みが、コンテスト方式です。

そうして「芸術は難解だ」「アートはわかりません」に育った国民の中に、行政指導する官僚や諮問委員の識者や、学芸員や館長までが含まれます。一般客のみならず、美術関係者までが芸術が苦手ときた。

話を蒸し返しますが、もし美術館が市場に参戦するなら、普段から売買慣れして鍛えられた海外勢に支配されます。日本側は高く買わされ、安く売らされる危険性が大。カスに見える逸品を巻き上げられ、逸品に見えるカスをつかまされて。

明治時代に浮世絵が欧米へ流出して、至宝の傑作に限って日本国内にないのと似た展開が心配です。不要品が始末できたと喜ぶうちに、未来の名作を持って行かれてしまうだけ。

日本がグローバル経済に移行したとたんに、家電や車関係の大企業がいくつも外国の手に落ち、日本独自の技術が流出した近年を覚えているでしょうか。アート資産も同じように、外国へ流出する危惧が十分あります。特に隠れ傑作の日本画。

リーディング・ミュージアム構想を逸品争奪のワナと疑う前に、日本の美術市場が小さくなった犯人は、公募コンテスト展です。コンテストをやめてアートフェアに交替すれば、年間に売れる金額は自動的に上がるでしょう。それプラス人々の見る目も養われるでしょう。

日本だけが今も18世紀型のコンテスト方式だから、そこが弱点と同時に伸びしろです。今から急激に市場拡大できる楽な道が、日本に限って存在します。

14 そのアートフェアを美術館で開く破天荒

リーディング・ミュージアム(先進美術館)構想は、最初から二股かかっていました。市場を大きくする目的と、美術館の経費をつくる目的です。

著者の対案は、アートの国内総生産を上昇させるのに、美術館が持っている絵ではなく、持っていない絵をセールするフェアです。

しかしこれだと、美術館の経費は捻出できません。だからアートフェアの元締めは美術館とします。画廊の参加料は美術館の収入で、既存コレクションを保持したまま金脈をつくれます。

損益分岐点は規模や作品しだいで、多少は初期投資もいるし、プレミアムグッズなど独創性も試されるでしょう。作品販売代金は画廊と美術家で10割とり、主催者に入らないのが欧米式です。

余談ですが、アートフェアは入場有料です。会場内で飲み物を売ったり配ります。海外ではワインやシャンパン類が定番。音楽も鳴っています。アメリカではバンド演奏も見ました。冠婚葬祭ふうにかしこまった、おごそかで高尚なコンテスト展とは違い、アートフェアはモダンでくだけた雰囲気です。

そんなアートフェアを美術館で行えば、規制緩和かつポスト構造改革でしょう。民泊や白タクなど経済縮小とは逆に、経済拡大する方向です。堅苦しかった施設ほど開かれ、海外からの視察も増えるでしょう。

ちなみに欧米では、市役所でも作品を販売します。日本の役所内は全て販売禁止ですね。美術館の個展やグループ展で展示作品を売ってもよいのに、そこだけは美術館がつぶれても死守するのは奇妙です。美術館が売買気運づくりで先進すれば早い。

不況下で同じヤケクソになるにしても、美術館の資産を投げ出すヤケクソよりも、美術館に資産を投げ込むヤケクソの方が、未来につながるでしょう。

15 コンテストとフェアを混ぜた展覧会は無理

ところで「県展」のような公募コンテストも、値段をつけて販売できないかと、アイデアが浮かぶかも知れません。実はナンセンスです。

売るなら、事前の審査はじゃまなだけ。評価の食い違いで審査員が恥をかくかも知れず。もうひとつ、落選作品の意味です。売る前提なら、作品が多いほどパイが大きくなります。何が売れるかわからないから、門前払いはもったいない。

一作品に一人買い手が現れたらバンザイだから、常識的で好印象な作品だけをそろえる意味がありません。売る前提なら、常人の理解を超えたゲテモノ作品も人前に出したいロジックがあるのです。トンデモの異端や、未来の創造が舞台に上がるのがアートフェア。

つまりアートフェアの方が作品の個数が多く、内容も豊富です。はっきり言えば、先進的で個性的。審査員への迎合がないから、出てくる作品の豊かさとチャレンジ精神が違う。

壁に絵が上下4段とか、床置きで立てかけたり、版画類の重ね置きもアートフェアの光景です。お客は中味をよく見るから、額縁で体裁をよくする義務もありません。キャンバスの釘が見えても皆平気。会場の美化もそこそこ。

お客が中味をよく見る理由は、自分のお金で買うからです。恋人を選ぶより結婚相手を選ぶ方が、自ずと真剣になる理屈です。表面的なルックスの奥にあるものを見届ける本気度が、美術鑑賞にも表れます。よい傾向でしょう。

欧米でアートフェア方式が盛んなのは、人間の保守性を知った上で、現代のゴッホを切り捨てずに、支持者を募る意図です。背景は1910年代から始まる多様化の時代。審査員の手に負えない多種多彩な表現を、皆で手分けして審議する。これが世界の考え方です。

著者の対案へのありそうな疑問点、「日本人は芸術が苦手なら、果たして市場拡大はあり得るか?」は、苦手を返上する作戦が回答になります。大半が苦手なままで、明るい未来があるとは思いませんから。

現代アートがわかる日本人を増やすには、売らないコンテストを廃止し、売るアートフェアに替えるのが近道だと考えます。各地の学芸員と民間ギャラリストが連携して、資金の流れを調整していけばよいでしょう。(つづく)(2018年8月6日)