難しい芸術

美術の価格と鑑賞と感動(1)
【アートの本格解説】

1 絵画の価格に人は何を思うか

「この絵は何億円です」というアートの高い価格が、たびたび話題になります。最近ではレオナルド・ダ・ヴィンチの『サルバトール・ムンディー』で、510億円というオークション結果が目立ちました。絵のタイトルはメシア、救世主の意味です。

そんな高額を代理人を通して払ったのは、日本や中国ではなく中東国筋でした。サッカーワールドカップで、アジアに含まれる地域。UAE(アラブ首長国連邦)のドバイ市にある文化観光局だそうです。

そうしたニュースに触れるたびに「へえー」と思いながらも、内心うっとおしくも思えて、美術の世界って何となくイヤだなと感じる方はいませんか。美術とのつき合い方をややこしくして、鑑賞する気持ちをかき乱すひとつの要因は、作品の価格だと考えられます。

よくある体験は、たいしたことがなさそうな絵を見せられて、後で3億円だと聞いた時の自分です。

ある人は、作品を見ただけでは値打ちがわからなかった自分に、軽い劣等意識を感じるでしょう。またある人は、3億円と聞くと優れた絵に思えてきて、そうだと知らなかった時とは態度が変わったりして。「最初から値打ちが高そうだと感じていました」と、事後の記憶変容が起きることも。

いずれにしても、興味しんしんで関心が高まったかにみえて、何か嫌な気持ちが残ります。価格に翻弄される自分に気づいたり、不合理な態度変化に気づくこともあるでしょうし。自分の悪い面を鏡に映したかのように。明らかに豊かな気持ちとは違います。

絵に何かを感じて言おうとした時に、価格にさえぎられたり釘を刺されたり。時には意見を曲げさせられたり、改心を迫られる圧迫感があるものです。

「この2枚の絵はどっちが高いでしょう」と問われて、こっちかなと答えると、それは8万円で、あっちが1億円ですとタネ明かしされると、普通はへこみますね。そこまで極端な数字はさすがにないと思うでしょうが、ロシア国のプーチン大統領がかいた絵は1億円で落札されていました。

2 価格が人を変えてしまう怖い例

話は全く変わります。20世紀末頃から、日本でモンスタークレーマーが目立ち始めました。受けた被害とは不釣り合いに、ひどく盛った苦情で騒ぎ立てる人の総称です。

1985年の国際合意から始まった、日本のいわゆるバブル時代が終わり、不景気へと流れが変わった1992年あたりが、モンスタークレーマーが増加し始めた起点と考えられます。

というのは、内需の落ち込みと国際地位低下に反比例するかのように、企業の製品やショップのサービスに向けられる過度なクレームが増えて、社会現象になったからです。

その状況証拠からすれば、不景気でイライラする人が増えたせいで、クレームが増えたと思いがちです。しかし、小売店やメーカーが持つ記録データはそうではなく、安売りと関係があるということです。

3 バーゲン商品に特有のトラブル

すでに古ネタですが、バーゲン品やディスカウント商品を買ったお客に、過度なクレーマーが目立って多いという。はっきりした経験則やデータが、各企業や商店の現場に蓄積されています。

商品を安く買った客ほど、クレームを言い出しやすいのです。4980円で買った客よりも、1980円で買った客の方がクレーム発生率が高いそうです。わずかの差ではなく、歴然とした差で。

すぐに浮かぶ理由は、1980円の方が品質が低いことです。安かろう悪かろうで、商品が粗末でボロだから、買ってから怒り出す人が増えると想像がつきそうです。

実は関係ありません。オリジナルの製パン店や特注家具などではなく、メーカー希望小売価格が公表されているパッケージ商品でも、同じようにクレームが来るからです。

ファッション衣料やカバンかも知れません。ヘッドフォンとかアプリソフトかも知れません。品質が似ているどころか、全く同じ製品です。ただひとつ、つけた販売価格だけが違います。

4 クレーム率に大差が生じるメカニズム

クレーム率が違うメカニズムは、心理学や脳科学の分野では説明されています。高く買った人は、高さを価値に反映させる心理がはたらく点です。「これは性能の高い商品である」と思い、払った金額と釣り合わせる心理です。

別の言い方をすれば、払った犠牲に対して得たものが大きかったと思い、自分をなぐさめる心のはたらきです。製品をよい方に受け取ろうとする善意がはたらくのです。高く出費した判断は正しかったと、自分の行動をたたえたい心理です。

このメカニズムは安く買った人にも起き、結果は反対の心理が起きます。「これは性能が低い商品であろう」と疑うかたちで、払った金額と釣り合わせます。

それなら安かろう悪かろうで引き下がればよいはずですが、払った犠牲が小さいから、商品にケチをつけるハードルは低くなります。細かいことに気を回し、あら探しする心理にかかるブレーキが小さい立場です。

なにしろ得するコースを選んだつもりだから、何かあれば損な買い物に逆転する不安と背中合わせです。ささいなことでも見落とさず店を責めてやるぞ、小さな不具合でもメーカーを叱りつけてやるぞと、ピリピリした心構えが形成されます。

低く出費した判断は正しかったと、自分の行動をたたえたい心理です。

その自尊心だけは、高く買った人と全く同じです。「自分は正しい商品選択を行った」との示しをつける同じ心理で、高い購入者と安い購入者の行動は逆になるわけです。