難しい芸術

美術の価格と鑑賞と感動(2)
【アートの本格解説】

5 高い安いの影響は身近にも多い

ところで、「金持ち喧嘩せず」ということわざがあります。4980円を払った方が金持ちであり、余裕があるからギスギスしない。おおらかな人柄や高い人格だから、高物買いするはずだという意見も出るでしょう。

貧しく心がすさんだ人や、退廃した底辺層ほど安く買おうと必死だから、その後のトラブルも当然多いはずだとする、ネットでよくみる「元々そういう人」説です。

それも一理あるとしても、同一人物かつ同一商品で生じる違いが問題なのです。値段のみ違うだけで、人間の実感と行動が著しく変化する現象です。世界各国に、そうした消費者心理を慎重に調べた研究結果があります。前からわかっていることだそうで。

物の値段によって評価が大きく左右される身近な体験は、食べ物にもみられます。思考実験として、マツタケとシイタケの値段が逆なら、それぞれの味を私たちはどう語るように変わるのでしょう。魚のフグとサバなども。

今では想像しにくいのですが、20世紀初頭はマツタケがシイタケより一ケタ安かったそうです。

値段の変化がそのまま評価の変化となった近年の実例が、1989年の消費税導入時の洋酒でした。高い物品税が廃止されたので、消費税が新たにかかっても洋酒の価格は大幅に下がりました。

フランスの「ナポレオン」、イギリスの「ジョニーウォーカーブラックラベル」、アメリカの「ワイルドターキー」など欧米の銘酒が、突然価格破壊しました。税込9500円だったのが税込2380円など、従来の4分の1ほどの値段へと。すると、従来の美味礼賛や崇拝は消えました。おいしいと言われなくなりました。

6 価格に翻弄される絵画鑑賞

購入価格による心理の激変は、美術を鑑賞する時にも起きるのでしょうか。買う立場でなく、見る立場にとっての作品価格です。見る人が出費するわけではない場合。

私たちは10億円の絵画と聞けば、何も聞かなかった場合にくらべて、様々な気持ちが浮かんでは消えるものです。ひとつの反応は、値段に見合う価値を絵の中に探そうとする心理です。

なぜそこまで高いのかを説明づけしたくなり、自分を納得させる理由が欲しくなります。価格と内容は全然関係ないのだと考える人は、現実には誰もいないでしょう。誰もが、何らかの関係はあるはずだと考えることでしょう。

10億円の根拠を絵の中に見つけ出そうとして、慎重に丹念に絵をながめます。価格を知らなければ短時間でさっさと流し見したはずが、知ったとたんに時間をかけて、じっくり目をこらして、細かい部分にも注意し始めます。鑑賞の態度が一変します。

時には「ここがこう描いてあるから10億円なのだな」「さすがに高いだけのことはある」と一人合点して。しかし理解にせよ誤解にせよ、最後まで見つけきらなかった時に、さまざまな反応が起きます。ほとんどは悪影響です。

7 美術の価格が及ぼす悪影響

「自分にはわからないけれど」となり、「でも値段が高いのだから、どこかに価値があるはずだ」。

これが、美術品を理解できなかった過去の汚点となり、コンプレックスにつながるのです。自分は美術がわからない人なのだと、突きつけられた判定。敗北感と負い目。

そういう体験が何度かあって、なおも自尊心を取り戻したい心理が突出すると、こう発展するかも知れません。

「アートはインチキだ」「セレブの道楽だ」「画商の仕手戦だ」「評論家の陰謀だ」「美術界は僕らをだまし、あざむこうとしている」というふうに。

さらには、「画家は正常な人種でない」「あいつらはハッタリ屋か精神異常者だ」と。「わからなくてけっこう」「わからない僕の方が常識がある人間さ」「僕は狂ってなんかいないし」「健康に生まれてよかった」「僕の勝ち」と。

「自分は美術が全然わかりません」と、わざわざ自分から言い出す人が多いことに気づきませんか。最低限の能力や教養が足りないと他人から疑われる危険があるのに、なぜか得意げに美術が理解の外にあると吹聴しています。

これは美術がわかることに、マイナス面を何となく感じているからに違いありません。現代アートがわかる人は変な人だ、という共通認識が国全体にあるつもりだったり。美術に対するこの屈折は、国レベルの文化ハンディキャップといえます。

8 高価格を皆に知らせたい提供側

値段が脳裏にあると、鑑賞者が自力で作品内容を見出す妨げになります。価格数字が横やりを入れてくるから、鑑賞者はいらぬことに頭を使わされるはめになり、作品との関係を築くのが難しくなります。

値段がちらつけば、作品を正面切って見ることは想像以上に困難です。片寄った見方になったり、事前の関心が最初から偏向しやすい。予断と偏見を誘発するのが価格というもの。

ところが、美術を見せる側、展示イベントを開く側は、そんな事情にかまっていられません。作品の高価格ぶりを宣伝することで、話題性が高まり、観客が多く集まり、充足感が高まり、展示会の格も上がるからです。

展示会の意義を高め、作品が見過ごされるのを防ぎ、作品に一目置かせ、作品に尊敬を集め、よい展示会だったと印象づける決定的な要因は、作品の価格です。

展示するアート作品の高額ぶりを前もって広めておけば、イベント業者にはメリットばかり。価格の高いは七難隠す。

だから、絵の価格を努めて前面に出して、値段で引っ張る宣伝はなくなりません。値段を伝えたとたんに見る目は歪むと承知の上で、これ以上の効果は他にないから。他人の心を支配する価格の力。興行のためなら、作品価格を黙っているわけにはいかず、ガンガン伝えます。

これはもう美術鑑賞の悲しい定めです。貴重な展覧会にのべ何十万人も動員しておきながら、国民を「論語読みの論語知らず」へ向かわせるのは、高級美術品の逃れ難い運命です。