難しい芸術

三大画家タイプとダダ運動タイプのアート(4)
【アートの本格解説】

13 現代アートの造詣はたったひとつ

・・・このように、行き過ぎた自由を是正すべきだとする、現代アート批判や反省が増えています。

それらに対して、著者は全く賛成できません。この問題は、表現の自由の大きい小さいではないからです。手法が広がり過ぎた「程度の問題」とは、全然違う話だから。

行き過ぎなどと、ボルテージの高低で調節すべき対象ではない。手加減や微調整による改善は、関係ない話。過度な自由表現をつつしみ、適度な自由表現に改めるべきだ式の、ひかえめなアートを歓迎する発想は違う、それが著者の判断です。

どの作品のどの自由を、何パーセント削減する規制なら、現代アート被害者の会は納得するのでしょう。やり過ぎた表現とは、どの作品のことでしょう。

単純な話です。全部で二種類ある現代アートを、全部で一種類だと皆さん思っています。だから次元のずれに虚を突かれ、激しくかき乱され、現代アートがモンスター化して襲ってくる脅威にブルッてしまうわけです。

「二重の顔」と「図形ぐるぐる」は別次元の不思議だから、分けて考えるのがコツです。『モナリザ』の謎と、『クロスワードパズル』の謎の、どちらの謎が心を豊かにして人生に花を添えるか、新しい文化創造や育成に寄与するか、考えるだけ無駄です。

紙と神を区別せずに混ぜたまま、カミの偉大さを言う授業みたいな感じ。当然、生徒が理解する難易度は上がり、授業難民が続出するはず。

14 あのブラックボックス展も簡単な話

ダリが描いた「キリンが燃える驚き」と、『ブラックボックス展』の「暗闇で体を触られる驚き」も同様です。確かにいずれも「驚き」という同じキーワードですが、別次元の驚きだと気づけば話はもつれないでしょう。

驚きつながりで、どちらもアートなんだ、芸術同士なんだ。だって芸術って予想を超えた驚きがあるんでしょ。びっくりさせるもんでしょ。ともにサプライズしてるし。

これでは無駄に話がからまり、気も重いだけ。リアルタイム体験者は、ショックで声が出そうになったと。そこまで一字一句がぴたり一致しても、『燃えるキリン』と『ブラックボックス展』にはつながりがない点にご注意。

どちらも既成の概念を超えた、奇想天外なお騒がせアートです。どちらもあってはならない事態で、許し難い。でも次元が違うから、混ぜるな危険。両者をしれっと同類項でくくるから、自由表現に迫害される不安にさいなまれ、アートはこの先どこまで行くのだろうかと怖い未来を感じるのです。

怖くなって世直しを思い立ち、斬新を排除し古典回帰を唱えるのは、間違った騒ぎ方です。現代アートは二種類あるのに、一種類だと誤認して起きたパニック。

『燃えるキリン』の絵は「三大画家タイプ」で、『ブラックボックス展』は「ダダ運動タイプ」です。『燃えるキリン』は芸術で、『ブラックボックス展』は反芸術です。『燃えるキリン』はアクション、『ブラックボックス展』はリアクション。

フランスの評論家ボードリヤールは、現代アートが一種類だとの前提で話を組み立てたせいで、世界の現代アーティストたちに真意が伝わらなかったのでしょう(ボードリヤール著『芸術の陰謀-消費社会と現代アート』)。

現代アートの最大のポイントは、芸術に対して反芸術という概念が世界に広がっていること。自由度が上がったのではなく、話がずらされている。シャレの世界。現代アートに限って、大きく二種類に分かれています。一種類ではなく、二種類。

現代アートは二種類ある。だからひとまとめに語れない。二つに分かれる。三つはない。この造詣を心得るだけで、従来の憂うつな胸騒ぎや被害感情は薄れて、アート全般を見直してみる気持ちの余裕が、数日で取り戻せるはずです。長くて21日。

するとあら不思議、現代アートは片寄っています。意外に右にならえで、尻取りふうに連鎖していると気づくのです。いかにも同じ時代の産物同士で、感覚がむしろ似過ぎ。親せきみたいな作品群。自由奔放で何でもありの、全方位まんべんなく万能に思えたのは、不安心理で生じた錯覚でした。(つづく)(2018年7月11日)